トロフィーは野球での優勝の象徴
トロフィーは野球での優勝の象徴
人は生まれつき競争する存在だと言えます。生物としては、それは生まれる前から定まっている宿命だといえるかもしれません。それは苦しみでもありますが、また喜びでもあるわけです。自然界を観てみると、オス同士がメスを獲得するために死闘を繰り返すのをテレビなどで目撃します。種の保存は自然の本能として、最優先目標となっているわけです。そして面白いのは、ただ身体が大きかったり力が強かったりするだけでは生き残れないことがよくあることです。川では身体が小さいため生存競争に敗れて海に死活の道を求めたマスが、シャケなって生まれ故郷に戻ってくるように、自然のメカニズムは複雑です。そして、それは人間にも当てはまることで、高くジャンプするには、低くかがみこまなけらばならないと言われている通りです。
人と競うことは理屈を超えた快感を与えてくれるものです。それは山登りにおいても、自分との闘いという意味で、やはり言葉では現せな充実感がもたらせるわけです。山登りの目標が山頂であるように、スポーツなどで目標になるのが、優勝又は一番の順位です。目標のない競技はただの身体運動になってしまいます。個人競技であっても団体競技であっても、目標があるから夢を追い求められると言えます。そこで象徴になっているの優勝トロフィーで、野球やサッカーのワールドカップで観られる光景が典型的な例だと言えるでしょう。勝利の喜びが最高潮になるのが、優勝式典でしょう。その際に授与されるトロフィーはメインイベントに不可欠なアイテムだと言えます。
世の中にはお金で手に入らない物は無いと言われますが、トロフィーはその例外の一つだといえるでしょう。確かに、モノとしてのトロフィーはお金で買えますが、その本質を手にするには競技で勝たねばならないわけです。象徴としてのトロフィーが本質を帯びてこそ、実体としての価値が出てくると言えます。象徴といえども、やはり其処には万人が認める付加価値が伴っている必要があるでしょう。例えば装飾であったり、材質であったり、それなりに高品質なものでなければなりません。何故なら、トロフィーは展示され多くの人々が触り、また鑑賞するものだからです。それ故、ワールドカップのように、その競技を象徴するオリジナルデザインになっており、希少性があるわけです。そして、時には絵画のように、時には彫刻のように、関係者に栄光を想起させ、何度も優勝の感動を味わさせることになると言えます。